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邑知潟農業の歴史

大洪水を克服した潟縁農業

農耕文化のはじまり

弥生時代中期、稲のモミを手にした人々は、山から下りて吉崎・次場にムラを築きました。農耕文化の夜明けです。
2千年もの間、毎年毎年同じ水田に同じ米を作り続けてきました。欧米の畑作ではとても考えられない、見事なまでの持続可能な農業を築いてきました。

【羽咋のれきし】より

  • 国の重要遺跡である「吉崎・次場遺跡」は「北陸の登呂」と称され、北陸最大級のムラ跡です。
  • 吉崎・次場遺跡から、稲作に使われたとみられるエブリや用水路の護岸と見られる木の杭列などが多数発見されました。
人工干拓のはじまり

江戸時代初期、それまでの自然干拓から「川流し」「鉄砲切り」などの方法による人工干拓へと移り変わりました。

【羽咋物語】より

  • 大規模干拓の祖「吉野彦助」が、寛文3年(1663年)加賀藩に埋め立てを申請し、生涯で1千石を新開しました。

【羽咋のれきし】より

  • 宝暦7年(1757年)千路村が自村の地先でなく、向こう岸の尾長村地先に新開願いを出したことから大騒動がおきました。世に言う「安永事件」です。
潟漑農業と「赤開き」

潟縁農業は、逆水門ができるまで3年に1回は稲が枯れて真っ赤に染まる「赤開き」に見舞われていました。

【旧越路野村史】より

  • 逆水門が昭和4年に完成するまで、3年に1回は「赤開き」になったそうです。

【邑知潟干拓に関する陳情書】より

  • 海水逆流為めに、潟沿岸一帯5百余町歩は浸水し、塩害による被害は甚大なるものがあり、昭和4年羽咋川の下流に自動門扉を設置して完全に海水の逆流を防止し、沿岸耕地は海水による被害より免れたのです。
  • 昭和19年の風水害により逆水門は破壊され、昭和21年の海水逆流による被害は、県の調査によれば沿岸耕地540町歩の中350町歩が収穫皆無でした。
大正の大改修(初代の逆水門の完成)

石川県は、大正14年に羽咋川の改修と逆水門の建設に着手し、逆水門は昭和4年に完成しました。

【羽咋市史】より

  • 従来、天災として半ばあきらめていた邑知潟の水害に対し、積極的にこれを排除しようという動きがでてきた。そして、明治43年に邑知潟水害予防組合を結成。
  • 「水門を設けられたるに、其結果は沿岸700町歩に亘る水田は良田と化し、莫大なる利益を享受することとなり」(出典は千路漁業組合資料と記載)
  • 逆水門が造られたことで、海水性のボラもセイゴもアマサギも減ってしまいました。海水の入らない邑知潟は、藻の種類が変わり、淡水性の藻やヒシが大量に潟を埋めつくしました。
  • 逆水門ができたことで、海水や子浦川の洪水の逆流がなくなりました。しかし、今のような堤防らしいものがない潟縁農業は、排水が悪いため腰まで浸っての農作業でした。
  • 田植えは、「田ずり」と呼ばれていた船に乗って行っていました。
  • 稲刈りは、水中での手探り作業でした。
  • 田んぼは、水はけが悪くいつも水浸しでした。また、洪水はいつ襲ってくるかわかりません。刈り取った稲は「田づり」や舟に乗せて洪水の心配のないところの「はぞかけ」場まで運ばなければなりませんでした。
漁師に農地

逆水門の建設によって、海水性の動植物が激減し、漁業に影響が生じました。 そこで、石川県は漁業不振に陥った千路等の漁師に干拓して農地を分配することにし、昭和11年に作付けができるようになりました。

【旧越路野村史】より

  • いざ逆水門が出来上がってみると、魚がさっぱりとれんとわかってあわてた。かと言って米と漁と比べると米もほしかった。(P-214)
  • イネのない2月から4月は逆水門を開けておいてくれと頼んだが、なかなかラチがあかなかった。
  • 世界恐慌の時だから干拓して米作るしかない筈といわれて、渋々従うことになった。
邑知潟の大氾濫と水門復旧

昭和19年と21年の集中豪雨で水門は壊れ、干拓堤防も壊れて元の潟に戻ってしまいました。水門が昭和24年に復旧するまでの6年間は、再び「赤開き」の脅威にさらされました。

【石川県土地改良史】より

  • 昭和18年まで稲の作付けが行われ、既成田を耕作する農家もうらやむほどの収穫を上げてきたが、昭和19年7月の豪雨による邑知潟の大洪水で堤防の一部が決壊し、干拓地は水没した。
  • 羽咋川逆水門は、太平洋戦争末期の非常時にもかかわらず、早期復旧工事に着手された。しかし、県内初の干拓である邑知潟干拓は、復旧見込額15~16万円とされ、災害復旧の申請もされたが着工されぬまま、国営干拓事業にバトンタッチされたのである。
昭和の大改修(国営干拓)

昭和23年、邑知潟沿岸住民の強い願いで、国営干拓事業が開始され、43年に完成しました